高校で同じクラスの子で、同じ関西に進学した子だったのだが、あっさり別に好きな人がいることが分かった。
自棄酒を飲んだ・・・。
しかし、自分が病気になったのは、そんなことのせいではないだろう。話自体はよくあることだ。そのせいでアル中になるんなら、この国の人間の大部分が精神科行きだ。
飲み始めのなんとなく覚えている出来事だ。
なんとなく、さそわれるまま、大学のマンドリンクラブに入部して、居ついた。
酒屋の息子だから酒はたくさん飲めるいって自己紹介すると、大いに受けた。
事実、そのころは、酒は死ぬほど飲めた。
先輩と居酒屋で酒を飲み、カウンターに2合徳利を14本並べたこともある。一人1升4合飲んだ計算だ。それでも、普通に家に帰り、翌日は朝の1コマ目から授業に出ていた。
大学は、自分がこれまで見たこともない優秀な人間ばかりで、完全に打ちのめされた。自分が凡人以下であることに気付かされのが辛く、すぐに授業にも出なくなった。
高校の先輩の誘いでマンドリンクラブに入ったが、本当に才能がなかったのだろう、楽器は一向に上達しなかった。ただ、練習だけは腱鞘炎になるまでやって、なんとかパートのトップをやって卒業した。
夕方、酒を飲む話になると、メンバーにかかわらず必ず行っていた。
酒で失敗することもちょくちょく出てきた。このときの話は、むしろ笑い話に近いので、日を改めて別に書こうと思う。
また、飲み代が足りなくなると、家賃の分まで、使って飲んでいた。大屋さんの家を間借りするような古い下宿だったので、家賃も待ってもらっていた。なんといって言い訳をしていたか覚えていない。卒業するまでには全部払って清算したが、本当に何をしていたのかと思う。 酒を飲んで、記憶を失うことも多くなった。
ただ、周りにさらに酒癖の悪い奴も多かったので、自分の飲み方が異常なことにはなかなか気が付かなかった。
そうこうしているうちに、実家の店は弟が継ぐことになった。弟が高校を卒業してすぐに丁稚で修行に出て、店を継ぐと言い出したのだ。
なんとなく、こんな状態の自分が店を継ぐのはまずい気がしていたので、別段ショックは受けなかったが、困ったのは、今までまじめに考えたことのない就職のことだ。
とりあえず、簡単な気持ちで、福岡県庁の試験を受けた。
今思うと信じられない話だが、まったく勉強していなかった。完全になめきっていたのだ。当然のように落ちた。
就職が決まらないまま、卒業するわけにもいかず、とりあえず留年することになった。
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