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ニート、アル中、うつなどマイナス人生を歩いてきた弁護士のブログです。これから夢実現に向けて頑張ります。基本的に1日1回以上更新します。
 私はICD(国際疾病分類コード)F102「アルコール依存症」という病気を持っている。
 身もふたもない言い方をすれば「アル中」。
 診断をもらったのは平成12年。「アル中」の治療法は現在も確立されていない。残された道は、酒をやめて生きるか、飲んで死ぬかのどちらかだ。酒で死ぬのは本望だと思ったこともあり、また、いやだとも思い逡巡した。結局、酒をやめる方をとった。
 酒を止め始めたのは平成15年10月13日。もう10年以上前の話だ。私がアル中になって、酒をやめるまでにはそれなりに長い話がある。
 
 まあ、つまらない一人ごとですが、よければ、少しお付き合いください。

1.生い立ち~育ちのせいではないけれど~
 
 私は、祖父がアル中の家庭に育った。
 うちは、その昔大地主だったらしい。田畑、山林はかなりの広さ持っていたし、家も数軒持っていたようだ。
 祖父は、それを全部金に換えて、酒と博打に使ったそうだ。
 あるときなど、競艇に1回行くために山を売った。もちろん、そんな逆上した博打で勝てるはずもなく、一日で、立派な檜の山林を失ったそうだ。5人兄弟の長男の父は小学校しか出ずに土方仕事に出て家計を支え、祖母は懸命に畑を切り開いて、最後に残ったわずかな土地に家を立てた。
 実家があった宇美町は、当時、炭鉱の町だった。女でもできるボタ拾いという仕事に祖母は出た。ある日、上から大きなボタが落ちてきて、祖母の左足を膝を直撃した。以来、祖母の左膝は曲がらない。障害者になった祖母の障害年金は、祖父が一時金で受け取り、博打につぎ込んだ。そんな生活が続いた後、父が独立して商売を始めて結婚し、私が生まれた。

 当時、父は、醤油や味噌の配達をして生計をたてていた。当時は、田舎だったわが町にはスーパーもなく、醤油や味噌は切れるたびに、電話で配送してもらうのが普通だったようだ。

 もの心ついたときに、家の中に変な部屋が一つあることに気がついた。
 中からは鍵が掛からないが、外からは掛かる部屋・・・。
 祖父の部屋だった。
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