講義中に発作が起こり、抑えるのに苦労したことも多々ある。
あわてて、教室を出て薬を飲み、下宿で眠ることもよくあった。
とにかく残った単位を取って、卒業することだけだった。
引退したクラブの部室にもよく、顔を出した。他に行く場所がないからだ。同級生は就職し、卒業している。
司法試験合格、キャリア官僚、有名企業に入社・・・。
同じ教室で学んでいた友人は遠い所に行ってしまったようだった。
酒も良く飲んだ。今までと違うのは、多少勉強したので、講義なんかも少しは面白く聞けたことだ。こんなことなら、もう少し早くやっておくんだった。
ただ、卒業した後どうするかは全く考えていなかった。
公務員試験は2度も落ち、自分に向いてないと考えるようになった。
とにかく、一人で暮らすのは限界に達していた。
祖父は、前の年の4月に他界していた。最後まで、酒を飲んで胃癌で死んだ。ものすごくやせ細って、叔母が看護師として勤める病院で亡くなった。葬式は、誰一人泣く者はなく、みんなで、何日も酒を飲んで、陽気に騒いだ。アル中が死んで悲しむ者はいない。それ以来、実家は憑き物が落ちたように明るくなった。
あれほど、いやで出た家だが、これなら帰ってもいいと思った。
必要な単位をとり、酒を飲んでためにためた家賃をバイトその他で返済した。
結局、進路を決めないまま、5年間通った大学を卒業した。
いろいろあったが、もう一度、福岡県庁を受験することになった。しかし、試験まで3ヶ月もない。
酒を飲みながらも必死で勉強した。試験は、落ちた2回目のときよりも手ごたえはなかった。3度目の発表があり、不思議なことに合格していた。
それからの半年は、本当に良く飲んだ。
酒癖も悪くなり、酒を飲んではもどすようになった。全国に散った大学時代のクラブの友人に酔って電話をかけた。電話代が嵩んでよく親から怒られた。
たまにパニック発作は起こったが、発作と発作の間隔は長くなり、だいぶ沈静化してきていた。
4月になり、いよいよ公務員生活が始まった。
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