戦術レベルの仕組み作り(業務の効率化)がまだまだできていない。
新たな出会いがなかったので、ハガキが書けなかった・・・。
いやいや、まだまだ過去の縁を掘り起こせばだれかいるはず。
とりあえず、だれか見つけて寝る前に最低2枚書きます。
セミナーの案内もいただいたので、日程確保してこれも参加予定・・・。
やることもやる気もあるけど、少し体力がキレ気味・・・。
なんとかしないと・・・。
後、厚かましくも、他士業の先生に面会申し入れメッセージを送りました。
会っていただけるといいですが・・・。
士業の営業のセミナーDVD見て、いろいろ計画を考えて、と。
まあ、充実した週末でした。
その後、経営計画をいろいろ考えていますが、なかなか難しいですね。
特に、何を売りにして一位を作るのか、本当に悩みます。
とりあえず、海原に漕ぎ出す前に、確固たる仕組みを作りたいと思います。
昨日の面会でいろいろヒントとチャンスはもらったので、もう一息といったところです。
さらに、いろいろな人に会って、来月中には決断します。
仕事には、なんとかいくものの、午後になるまで、使い物にならない日も多かった。
そうした私を妻は一度も助けなかった。今思えば、これが良かったようだ。アル中の奥さんというのは、普通、過剰に世話を焼くものらしい。泥酔した夫を布団に寝かせ、会社には、本人に代わって「風邪で休みます。」と電話をかけてくれる。本を読んでも、人の話を聞いても、圧倒的にそういうタイプが多い。しかし、こうした対応は最悪の対応だそうだ。本人は自分が困らないので、ますますアルコールの愉悦に浸ることができる。そして、さらに深い泥沼にはまっていく。最良の対象はほったらかしにして自分で処理させること。うちの妻はそれを知っててやってくれたわけではなく、酔っ払いが心底嫌いだったからこういう対応になったらしい。結果的に幸運だった。
忘れもしない平成15年10月10日。連休の中日のこの日は、高校時代の友人の結婚式だった。式に出て、懐かしい友人と再会した。酒も酔わない程度に飲んだ。友人と別れた。ここからがいけない。この後、バスの時間待ちに行きつけの日本酒バーにいったのをきっかけ(ここで5合は飲んだ。)に、記憶をなくした状態で、次々と飲み歩いた。どうやら、大分遅くなってバスに乗ったようだが、どこをどうのったものか分からない。田川の山の中で寝ていた。相当体温が下がっていたのだろう。起きたときは、歯の根が合わないほど震えていた。しばらく動けなかった。コートも引き出物もその辺に転がっていた。とりあえずコートを着て、何とか歩き出した。今何時かも分からない。どうしたらいいか、途方にくれて、とぼとぼと道を歩いた。バス停があった。多分、ここで降りたのだろう。横に自販機があったので、ポケットに入っている小銭を震える手で投入し、温かいコーヒーを買った。飲むと、やっと少し冷静になった。近くに電話ボックスがあった。とにかく、近くのタクシー会社に来てもらって、着払いでもなんでも帰ることを思いついた。間違い電話を数回かけた後、ようやく電話帳の番号どおりにダイヤルでき、タクシーに来てもらい、当時住んでいた飯塚に帰った。あの時、目が覚めなかったら死んでいただろうと思う。小雨の降った寒い日のことだった。
なんとか、家に帰って、次の日は夕方まで寝た。
起きて調べると、メガネと引き出物はなくなっていた。
妻と差し向かいに座って、じっと黙っていた。しばらくして、重い口を開き、妻に言った。「酒をやめる。断酒会に入会する。」何の弾みだか分からない。ただ、このとき、普通の人の一生分の酒を飲み終わったという感じはあった。別に悔いはなかった。
ネットで断酒会の情報を調べ、10月13日に東京の本部事務局に電話した。親切に福岡県の理事の方を紹介してもらった。その方に電話すると、地元の会の電話番号を教えてもらった。夕方、地元の会長さんに電話した。奥さんが出た。ミーティングの日を親切に教えてくれ、「あんた、やめる覚悟本当にある?」と、聞かれた。なんと答えたか覚えていない。多分、やってみますとか、そんなことを答えたんだろう。とにかく、助かった気がした。
それから1ヶ月は離脱症状(人によっては、痙攣したり、幻覚を見たりする。)がきつかったが、その日以来、なんとか酒を飲まずにやっている。
私と同病の方ですが、とめどなく、ビジネスのアイデアを聞かせていただき、本当に勉強になりました。
いくつになっても、夢がある人には魅力がありますね。
今後の展開についても、いろいろご提案いただきましたし、お仕事の依頼もいただくことになりました。
転ぶ方向によっては、すごいことになりそうです。
その後、某所に行って全国的なネットコンサルの方のお話を聞きました。
普通であれば、お金を出さないと聞けないお話を無料でお聞かせいただき、本当にありがたかったです。
今日は、ハガキ書いて、子供と一緒に寝ます。
映画見て帰りました。
チョコレートドーナツ
http://bitters.co.jp/choco/
同性愛者かつ弁護士が出てくる話なので、バッジつけて、ドキドキしていきましたが、特にそういう人はおらず、
女性が多かったです。
映画の内容は、非常によかったです。泣けました。世間の偏見でささやかな幸せが壊されていくのが、なんともやりきれなかったです。おススメです。
いろいろ思うところを話しましたが、概ね方向性は間違っていないことが確認できました。
いよいよ、近いところで吉日を選んで勝負です。(誰と何の勝負をするかは秘密・・・。)
ちなみに、お店はこちら。何を食べても美味かったです・・・。
絹街道
http://www.tenari.jp/silkroad/concept.html
最初のうちは、新しい環境ということもあるし、あまり酒を飲むペースも落ち着いていた。しかし、仕事にもなれ、ある程度こなせるようになると、時間もでき、金銭的な余裕もあるし、酒量も以前のように増えていった。記憶がとんだ状態でスナックに行き、ボトルを入れる。なんとか、かえって来るが、どの店に行っていたのか分からないので、折角入れたボトルは1回限り。今考えたら、新車1台は買えてると思う。馬鹿だ。こんな私にも、付き合っていいという奇特な女性が現れた。現在の妻だ。これを逃したら、一生結婚できないと、思って、一所懸命に繕った。彼女のいる前では、酒は相当我慢した。後は、ぼろぼろだった。家の近所でスーツ姿のまま寝たり、タクシーでゲロった上に運ちゃんとケンカして警察に突き出されかけたこともある。このころから、なんとなく、死んだ祖父のことが頭をよぎるようになった。
「俺もあんなふうになって死ぬんかなあ・・・。」という強迫観念が頭に取り付くようになった。さすがに仕事にはきちんと行っていたので、その間だけ酒が抜けていたようなものだ。
しかし、それも、いつまで持つか・・・。そう思いつつ、酒を飲む・・・。そんな日の繰り返しだった。
アルコールの自転車操業生活の中でも、なんとか無事に結婚した。最初のうちは夫婦一緒に酒を飲んだ。そのうち、妻が晩酌に付き合ってくれなくなった。とにかく、酒をだらだら飲んで、辞めないのが、いやになったらしい。そのうち、私が酒を飲みだすと、一人でさっさと寝るようになった。後で、聞いた話だが、私が飲んで愚図愚図と愚痴ばかりいうので、何度か殴ったことがあるそうだ。こちらは記憶がないので、覚えていないが、まあ、当然だろうと思う。
一番つらかったのは、私が酒を飲んで、つぶれて寝てしまい、そのまま朝になったとき、毛布をかけてくれるでなく、起こしてくれるでなく、さっさと自分の出勤時間に出かけてしまっていたことだ。午前10時ころ、目を覚ました。家には誰もいない。朝食も何もない。きちんと片付けられている。職場からは電話がかかってくるわけでもなく、世の中はきちんと動いている。自分は誰からも必要とされていない!二日酔いの頭で、職場に電話を入れ、体調が悪いと言って、半日休みをもらった。
その足で、病院に行った。自分が行くべき診療科は分かっていた。電話帳を繰って見つけた近所の精神科のクリニックを受診した。簡単なテストの後、医者からは。「うーん。アルコール依存症かなあ。これ以上飲むのは医師の立場からは勧められませんね。どうです。治療しますか?」といわれた。とりあえず、抗酒剤と精神安定剤をもらって、帰った。あまりショックは受けなかった。やっぱりか。アル中か。しばらく、酒を控えていたように思うが、すぐに元に戻った。その間、アル中について色々調べた。治療は完全断酒のみ。予後はきわめて悪く、97%が再飲酒する。平均寿命は52才。分かりながら、往生際悪く酒を飲み続けた。本物の馬鹿だ。平成15年10月13日が来るまで、まだ、1年ほどあった。
とりあえず、週末に人に会って、来月こそ某セミナーに出ます。
心理の勉強も始めるので、それも楽しみです。
今日もハガキ頑張って書きます。
ここまでかなり順調に来てます。夏くらいには、目標体重到達も夢ではない感じがします。
昨日、ちょっとしたことがあって、気分的に吹っ切れました。
さらにギアを上げて頑張ります。